いつかはローマ
ローマで迷ったら
~ All roads lead to Rome. 全ての道はローマに通ず ~
このことわざを知らない日本人は、おそらく数少ないだろう。
解釈は二つあり、一つはローマが世界の中心だという意味。
事実、ローマはかつて世界をリードし、あらゆる意味で世界の中心であった。
もう一つは、とにかくも、どの道を辿ってもローマに行けることから、目的を達成させるためにはいろいろな方法があるという意味で使われる。
この有名なことわざを聞くたびに、私は「お茶」という言葉を連想してしまう。
正に、「パブロフの犬」と同じ状況である。
因みに、「パブロフの犬」とは、ソビエト連邦初のノーベル賞受賞者である生理学者イワン・パブロフ(1849年9月14日-1936年2月27日)によって発見された、後天的な条件反射のことである。
話を元に戻すが、何故、「全ての道はローマに通ず」が「お茶」を連想させるのかと言えば、今から25年以上前に、ある資格を取得した時の経験に起因する。
幼少時の数年間、私はお茶の名産地の一つである静岡県で生活をしていた。
お茶所だったからというわけではないが、「茶摘み」の歌に合わせて手遊びでよく遊んでいた。
そのせいか、「お茶」は幼い頃から親しみのあるものでもあった。
学生時代から茶道を学び始めたのは、いま改めて思い返せば、必然であったのかも知れない。
日本の伝統文化である茶道を学びつつ、紅茶にも興味がいつの間にか湧いてきた。
日本茶よりも紅茶の方が、当時、おしゃれな感じがしたことも否めない。
丁度その頃、運よく、新宿高野でインド政府公認の紅茶教室が開催されることとなった。
数回の講習を受講すると、インド政府認定の紅茶アドバイザーの資格が修得できた。
そこで、お茶の歴史や世界的な流通経路を詳しく教わったのだが、その際、「全ての道はローマに通ず」ということわざが多用されていたのだった。
日本のお茶(緑茶)も、インドの紅茶も、チャノキ(茶樹)の葉や茎を加工して飲み物(茶)を作る。
加工の方法、つまり発酵のさせ方により紅茶となったり、緑茶となる。
元は同じでも、一見違う飲み物のように変化するのである。
「茶」を意味する語の起源も、「チャ」系統と、「ティー」系統に分かれる。
しかし、どちらも同じものを表現していることには変わらない。
つまり、「全ての道はローマに通ず」と同じく、世界のお茶は発酵のさせ方など加工方法は異なれど、チャノキ(茶樹)の生み出す飲み物なのである。
余談ではあるが、紅茶は飲み物というイメージしか私にはなかったが、マイケル・ジャクソンは違った。
私が紅茶教室に通っている頃、マイケルは、紅茶のティーバッグとクレヨンとパステルを組み合わせて「Afternoon Tea」「Afternoon Tea, London」という紅茶シリーズの絵画を描いている。
マイケルにかかると、あらゆるものがアートに様変わりするようだ。
マイケル・ジャクソンは芸術の天才なのだと、再認識させられる。
ところで、韓国ドラマ「天国の階段」の主役、チャ・ソンジュの姓の意味は、「お茶」なのであろうか。
何しろ、韓国語でも「お茶」は「チャ」と発音する。
調べてみると、姓で使用する「チャ」は、漢字で表記すると「慈」である。
日本語の「はし」が、「橋」「端」「箸」と使い分けられるように、同音でも意味は異なるものであるようだ。
韓国の姓は286種類あるそうだが、大多数は5つの姓(金・李・朴・崔・鄭)が朝鮮民族の人口の半数を占める。
慈(チャ)という姓は、少数で珍しい。
「慈」という漢字の意味は、父母が子を愛するように、いたわり育てるという意味と、愛をもって苦しみを除くという意味がある。
チャ・ソンジュの「慈(チャ)」は、愛の神エロースを彷彿させる姓である。
チョンソがジスとして登場した時、友人と経営していた店名は「イカロス」であった。
イカロスはギリシア神話の登場人物の一人である。
太陽に近づきすぎて翼が溶けてなくなり墜落死したとも、帆船をうまく操れず転覆し、海に落ちて死を迎えたとも伝えられている。
こうして改めて、細かく振り返ると、チョンソ(ジス)の将来を暗示するような店名がつけられていた。
韓国ドラマ「天国の階段」も、日本の「七夕伝説」も。
その他、世界各国で語り継がれる数々の、誰もが知っている類似の物語も。(類似の物語については、また日を改めて。)
これらは、すべてギリシア神話「エロースとプシューケーの物語」に辿り着くことは必至であろう。
世界の「茶(チャ)」や「ティー」がチャノキに通じるように。
神様の衣である「羽衣」や天使や有翼の存在の「翼」が同じであるように。
「全ての道はローマに通ず」ということである……。